音楽を中心とした様々な文化トピックについて放談する本Podcast『野暮な昼電波』は、2021年9月の第1回にて、ビ・バップを語るところから始まりました。その後1年間を通してエンニオ・モリコーネから西野カナまで様々な音楽を語ってきたものの、パーソナリティの2人にとって、何を話していても、どうしてもついつい回帰してしまう原点あるいはカルマとしてビ・バップはそこに残っています。それくらい現在のポップミュージックがビ・バップまたはモダンジャズに対して負っている物は大きい、というのが野暮昼の"暫定的な"音楽史観です。今回は、何が私たちにビ・バップを語らせるのか?をあらためて深耕しました。まず、ビ・バップは原点にして到達しえない究極としての存在様態を持ちます。ビ・バップ的な語彙は一般的なジャズ教則においては「基本」または「開始点」とされていることが多く、具体的には2-5-1に代表される強進行上で、メロディによってコード進行をかたどる/なぞる(英語だとoutlineする)ような演奏が、ジャズ入門においてはお手本とされます。ビ・バップ的なサウンドを考えるに、「コードトーン、分散和音の重視」「各コード...
音楽を中心とした様々な文化トピックについて放談する本Podcast『野暮な昼電波』は、2021年9月の第1回にて、ビ・バップを語るところから始まりました。その後1年間を通してエンニオ・モリコーネから西野カナまで様々な音楽を語ってきたものの、パーソナリティの2人にとって、何を話していても、どうしてもついつい回帰してしまう原点あるいはカルマとしてビ・バップはそこに残っています。それくらい現在のポップミュージックがビ・バップまたはモダンジャズに対して負っている物は大きい、というのが野暮昼の"暫定的な"音楽史観です。今回は、何が私たちにビ・バップを語らせるのか?をあらためて深耕しました。まず、ビ・バップは原点にして到達しえない究極としての存在様態を持ちます。ビ・バップ的な語彙は一般的なジャズ教則においては「基本」または「開始点」とされていることが多く、具体的には2-5-1に代表される強進行上で、メロディによってコード進行をかたどる/なぞる(英語だとoutlineする)ような演奏が、ジャズ入門においてはお手本とされます。ビ・バップ的なサウンドを考えるに、「コードトーン、分散和音の重視」「各コード上でのアベイラブルスケールの活用とインサイドでの演奏」「ドミナントV7コード上でのオルタードテンションの活用」などが特徴としてあげられますが、これらは、モード奏法、スケールアウトなど、より後の時代に登場したアドリブ方法(Ep.10 モードジャズ回参照https://open.spotify.com/episode/4Qh2HDARuBBxXGNkcidzC7?si=P0t4lyodTtOHRkFzvZKitQ)よりもシンプル、またはジャズ学習者にとってもそれらより”以前”に身に着けるものとされています。ではどこまで行けばビ・バップが身についたと言えるのでしょうか?日本が世界に冠たる偉大なるジャズサックス奏者山田譲氏は、「ビ・バップ曲を吹けるようになっていない状態で、Tell Me A Bedtime StoryやBoliviaなどのポスト・バップ曲に取り組んでも良いサウンドを得ることはできない」と喝破しました。いっぽうで、矢野沙織(as)https://twitter.com/yanosaori_jazz?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor や二見勇気(pf) https://twitter.com/pianocourage23、土田晴信(org)https://twitter.com/Hal_Tsuchida など、ビ・バップに傾倒している奏者は、「ひたすらその道だけを」飽くことなく突き進んでいるように見えます。では彼らは果たして、自身のビ・バップは未完だという認識なのでしょうか?ここで思いを馳せるべきは、モダンジャズの始祖チャーリー・パーカーは34歳で亡くなっているという事実です。ビ・バップを修めて次の段階のアドリブ手法の習得に進むまでに、私たちはどれほどの時間を要するのでしょうか?野暮な昼電波ep.1 https://open.spotify.com/episode/3WVv6XfzMaQytkwYJbh7qF?si=QodiI5qbSLSStkujWIuycA でも述べたとおり、登場時のビ・バップは前衛といえる音楽でした。例えばチャーリー・パーカーの代表曲 "Confirmation" は見方を変えればカノン進行であることなどに見られる通り、形式としては機能和声に支えられた西洋音楽の伝統の踏襲でありつつも、パーカーのライブ演奏におけるフリージャズを思わせるほどの爆発的パフォーマンスは強烈な官能と獣性の世界だったのであって、実践のレベルではそれは間違いなく伝統からの逸脱だったと言えます。ビ・バップが持っていたこの「服従でありつつも反抗である」というパラドキシカルな様相こそが、現代の音楽家に真似できないポイントなのではないでしょうか。パーカーの模倣では前衛性は表現できません。なぜならパーカーの楽曲やソロには高い被分析性があり、演奏の背景にある理屈や思考の過程はバークリーメソッドがほぼ解明しているからです。そのため、ビ・バップ的な語彙を用いた瞬間、本来は新しいことが「過去の反復」あるいは機能和声理論への服従と解釈されてしまいます。パーカーが編み出した奏法を踏襲しつつ、常に逸脱の契機をはらませなければならない。これこそが、制度でありつつも運動体だったビバップの本懐であり、矢野氏や二見氏はこの不可能性にこそ挑んでいるのではないでしょうか。だからこそ彼らは既にヴァーチュオーソというべき演奏能力を手にしながら、モダンジャズを求道し続けるのではないでしょうか。野暮な昼電波は、ビ・バップは終わっていないと考えます。なぜならビ・バップは登場以来、終わりがない解体と再帰の過程にある近代の表象だからです。ビ・バップがあったからこそ後続のハード・バップがあり、クール・ジャズがあり、モードジャズがあり~、、といった時系列と因果関係を直結させる安易な歴史解釈はCOTEN RADIOに任せておけばよい。確かにビ・バッププロパーの演奏家はポップミュージックのメインストリームからは消え去ったかもしれません。それでも私たちがシティポップを、ネオソウルを、トラップを聴くとき、演奏するとき、あるいは語るとき、常に回帰してくるのがビ・バップなのです。■Personality: Taiwa, KOI ■参考音源: ①山下洋輔 "音楽乱土/寿限無" 、②バド・パウエル "Blue Pearl"
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