今日、アメリカだけでなく全世界において、青少年の脱線と堕落は健全な社会を脅かしています。世界は、人間の努力と人間愛では収拾できない終末的な状況に到達したというのです。ですから、必ず新しい運動が起こらなければなりません。誤ったことを清算してしまい、本来の基準で出発しなければなりません。
そのような意味で、歴史とは本然の理想世界に向かって古いものを清算し、新しいものを再創造していく再創造復帰摂理歴史です。ですから、古いものと新しいものがぶつかるのです。今まで、個人が家庭を好きなように立ててきましたが、これからはそのように立ててはいけません。そのような時代に私たちは立っているのです。
多くの宗教の創始者の中で、イエス様は、特に家庭に関して深刻なみ言を多く語られました。イエス様は、神様をどのような方だとおっしゃいましたか。「神様は私の父であられる」とおっしゃったのです。創造主である神様と人間の関係を、父母と子女の関係であると説いたのです。さらに、自分は神様のひとり子だと言いました。
これは、イエス様が神様の最初の息子であり、一人息子であるということです。
神様が愛の本体であるとすれば、人間とは父子の関係とならざるを得ません。ですから、私たち人間と創造主の関係は、単純な造物主と被造物の関係を飛び越え、真の愛、真の生命、真の血統によって連結された関係となるのです。
神様を中心とした家庭を築くことがイエス様の願いまた、イエス様は「私は新郎であり、あなたがたは新婦である」という立場で語られました。新郎と新婦が結婚すれば夫婦になります。家庭を築こうというのです。結局、家庭を築いて子女を生もうということです。ですから、結婚した夫婦は必ず息子、娘を生んでこそ、家庭がしっかりと築かれるのです。妻が憎くて離婚したくても、子女を生んでおけば、いい加減に別れることもできないのです。子女は、夫婦の愛の実です。
イエス様は、神様のひとり子、天の国の王子としてこの地に来られました。それも、神様の第一王子として来られたというのです。神様の全権を相続するのにふさわしい王子として、神様の印を受けて生まれた息子なのです。そのような神様の息子を迎えて、神様の長子の嫁にならなければならなかったユダヤ民族でしたが、そのようになれませんでした。
それでは、皆様の中で、その王子の新婦になる自信のある人がいますか。新郎新婦は神様を父として侍り、天の王子と王女として関係を結ばなければなりません。このように、神様を中心とした家庭を築くことが主の願いでした。外的な天下を所有しようということではなかったのです。
それでは、キリスト教は何をするべきなのでしょうか。全人類が共同で願う、来られるその方に新婦を準備して、その方が願われる環境をつくってさしあげなければなりません。これを聖書では、「小羊の婚宴」と比喩したのです。このような歴史的な責任を背負ってきたのが、正に新婦の宗教であるキリスト教の使命であるという事実をはっきりと知らなければなりません。
結局、イエス様が肉身をもって地上に来られた目的は、新婦を得て家庭を築こうということです。問題は家庭です。真の家庭を築いたならば、イエス様は、何にならなければならないのでしょうか。家父になるべきです。家父になると同時に、家長にならなければなりません。さらには、氏族の長にならなければならないのです。しかし、イエス様は家庭理想を完成することなく、十字架で亡くなられました。イエス様が築くべきその家庭は、神様をお迎えして千年、万年暮らしたいと言える家庭です。韓国の民謡の中に、「月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んだ月よ。あの、あの、あの月の中に桂の木が植えられたので、父母に侍って千年、万年暮らしたい」という歌があるのです。
祝福とは神様の願いである真の家庭を築くことそれでは、家庭を築いて何をすべきなのでしょうか。子女を生まなければなりませんでした。すなわち、神様の孫と孫娘が出てこなければならなかったのです。結局、神様が直系の孫と孫娘を見ることができなかったことが恨です。神様は今まで、すべての人間の標本的な家庭を立てようとされたのです。
ですから、神様はそのような家庭をどれほど慕われたでしょうか。また、堕落によって結ばれた人間が、どれほどその家庭を慕ったでしょうか。皆様も、その家庭を慕ってみましたか。理想家庭を中心として、すべての人類が一つにならなければなりません。そうして、人類は何を探し出さなければならないのでしょうか。真の家庭を迎えなければならないのです。
今日、堕落した世界の家庭は、神様のみ前に立つことができません。このような曲折があるので、「あなたの家族が怨讐である」と言われたみ言は正しいというのです。イエス様はこの地に来て何をしようとしましたか。神様を中心とした一つの家庭を築こうとしたのです。ところが、この家庭を築けなかったので、再び来るとおっしゃいました。再び来られて、何をしなればならないのでしょうか。家庭を築かなければならないというのです。そうして、その家庭において息子、娘が後代に繁殖し続ければ、氏族が形成され、民族が形成され、国家が形成されるのです。
そのような純粋な神様の家庭を築こうとすれば、神様の愛を中心とした家庭の血族がこの地上に現れなければなりません。ところが、その家庭を築けなかったので、神様が再びこの地上に、神様の創造理想だった本然の基準、すなわち本然の家庭を中心とした復帰の血族を形成するために、今まで救援摂理をしてこられたのです。
そのような家庭を立てるために、皆様がよく御存じの「祝福」というものをしてあげているのです。その家庭を「祝福家庭」と言います。その祝福家庭とは、どのような家庭でしょうか。神様を中心とした理想的な家庭のことを言うのです。その家庭は、来られる主を迎えるべき家庭であり、これからの後代の人々も迎えるべき家庭であり、すべての人間が最後にもたなければならない共同の目標です。
それでは、行くべき共通の関門は何でしょうか。国でもなく、世界でもありません。共産主義世界でもなく、民主主義世界でもありません。本然の家庭です。民主主義の世界に、真の民主主義世界を創建できる本然の家庭がなければなりません。この本然の家庭が現れるまでは、平和の王国、平和の理想国家、平和の国はあり得ないというのです。
ですから、私たちが願うこのような理想的家庭、本然の家庭、生きるべき家庭、出会うべき家庭、探し出すベき家庭が、この地球上に必ず現れ、人類歴史と運命を共にできる一時が来なければならないのです。それでこそ、地に対する神様の摂理が成し遂げられるのであり、安息の福地、安息の住み家が出発するのです。このように、家庭を生かし、地域社会を新たにし、国を強健にする運動において、聖職者が先頭に立たなければなりません。
内外の貴賓の皆様。きょう、祝福を受けた聖職者の皆様は、今から先頭に立って、皆様の教会と皆様の地域社会において、この祝福運動を主導し、平和の国、平和の世界を成し遂げていく先駆者となることを願います。神様の祝福が皆様の家庭に共にあることを願いながら、話を終えようと思います。ありがとうございました。