サンディエゴ日本人教会 San Diego Japanese Christian Church
Religion & Spirituality:Christianity
「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終りがあり、生きている者が、それを心に留めるようになるからだ」(伝道の書6章2節)
イスラエルの三代目の王ソロモンは祝宴の家に行くよりも、喪中の家に行くことを望みました。なぜなら、そのことによって自分には終わりがあるということを知るからです。そして、このことに対して備えよと聖書は私たちに語りかけます。その備えは私達がどこに葬られるかということではなく、あなたはその時、どこに行くのかということであります。聖書の約束は私達、キリストにあって死んだ者は、彼と共に葬られたのであり、その葬られた私たちはキリストと共に新しい命に永遠に生きることができるというのです。
「あなたがたは代価を払って買い取られたのだ。それだから、自分の体をもって、神の栄光をあらわしなさい」(Ⅰコリント6章20節)
私達はキリストにあって罪に死んだ者なのだとパウロは言います。そして、今はこの世界を神と共に生きている者であり、故に私達はキリストにあって代価を払って買い取られた自身をもって神の栄光をあらわすべく今を生きる者であると聖書はいいます。
『悔いのない人生を生きたい』大倉 信 牧師
『壁越しではなく、垣根越しに』大倉 信 牧師
『与えましょう、与えられます』大倉 信 牧師
『私が変わります』大倉 信 牧師
『誰のために体を労るのか』大倉 信 牧師
『私は奇しき足跡を信じる』大倉 信 牧師
『「変化」は祝福を運んでくる』大倉 信 牧師
『点はつながり、やがて線となる』大倉 信 牧師
『その時、遺す言葉がありますか』大倉 信 牧師
『痛恨の失敗、されど・・・』大倉 信 牧師
『人の分際を知る』大倉 信 牧師
『リアリストであり、信仰者』大倉 信 牧師
『今こそ、座って考える時』大倉 信 牧師
『主よ、私と共に年を越してください』大倉 信 牧師
『Why Christmas? なぜクリスマス?』本多一米 師
『「乳飲子」として生まれる意味』大倉 信 牧師
『クリスマスはチキンとローソクか?』大倉 信 牧師
『恐れるな、ここに愛がある!』大倉 信 牧師
『心の姿勢の大切さ』大倉 信 牧師
『希望を語る前に、絶望について語ろう』大倉 信 牧師
Create your
podcast in
minutes
It is Free
The Hello Heaven Podcast
Cast The Word
Let Me Be Frank | Bishop Frank Caggiano’s Podcast | Diocese of Bridgeport, CT
The Kingdom Power Fellowship Podcast
The Bible Recap
The Bible in a Year (with Fr. Mike Schmitz)