055.「執筆の話から・・・自分のご機嫌をとる大切さ」
今回は執筆の話から、自分のご機嫌を取っておくことってとても大切だよね!というお話をさせて頂きました。 第2冊目の本の執筆も佳境に入ってきているのですが、その中で面白い現象がありました。 よく作家さんで“登場人物が勝手に動き出す”そんな表現をされる方がいらっしゃいますが、こんな感じなのかも・・・と思った現象でした。 裏話的なお話ですが、私の場合章ごとのテーマを決めて、その着地点もある程度決めたうえで、そこに向かって書き始めるのですが、今回ある章を書いているうちに、だんだんと導かれるように違う着地点に到着してしまったのです。 そして書いた本人がその自分で書かいた文章に“ほ~”と、納得させられてしまうという不思議な現象でした。 本当に何かに書かされているような気分になりました。これが“登場人物が勝手に動き出す”という現象か・・・とちょっと嬉しくなったのでした。 そんなお話からその章のテーマである「自分の世界は自分で創る」という、私なりの解釈をお話させて頂きました。 自分のご機嫌を自分でとるという事は我儘でもなんでもなくて、とても大切な事。逆に自分のご機嫌を他人にとってもらおうと気配でわからせるような態度が我儘だと私は思うのです。 自分をご機嫌にしておけば、その周囲の人も気持ち良くなるでしょう。そしてその周囲の方の周囲にも、そのご機嫌さが伝わっていけば世界平和に繋がるのではないか・・・とそんなお話をさせて頂きました。 なんだか今回は私がとても気分が良かったようで笑い声が五月蠅いくらいです(;^_^A お聴き苦しいところがあるかもしれませんがご容赦下さい()
054.「これから大切になってくること」
今回は年末に向かっている今、来年からももう少し続きそうな激動の時代を乗りこなしていくのに大切な事は・・・と、そんなお話をさせて頂きました。 2025年も何かと心穏やかでは居られないような話題が多かったように思います。 そして来年も、もう少しまだその流れが続いていきそうな感じがするのです。 そんな時に私たち個人が出来る大切な事。 それは私がこれまで何回もお話させて頂いている事にはなるのですが、グラウンディングです。 しっかり地に足を着けていれば、多少強めの風が吹いてもそこにしっかりと根をはって立っていられます。 そして、もう一つ大切な事は自分の意見をしっかり持って正直に表現していく事です。 これからの時代は情報ネットワークが重要になってくる時代です。その中には信頼できないようなものもあるかもしれませんし、自分には用のないものもあるかもしれません。 でも、そんなもの全てを取り入れていたら、どんな人でも混乱してしまうと思います。 なので、自分の感覚を大切にしてその情報が自分にとって必要なものなのか、必要でないものなのかを表明していく事も大切になってくると思うのです。 自分の感覚を研ぎ澄ますにもグラウンディングは必須ですし、身体を充分に休めてあげる事も重要です。それが出来ていたら後は無条件に自分の感覚を信じて良いと思うのです。 相手のことをおもんぱかる事が得意な日本人ですが、そこに重点を置きすぎると自分が混乱してしまいます。もし自分に必要のないものであれば、ハッキリとそう表現しないと伝わらない状況もあると思うのです。 相手をジャッジするのではなく、I messageで自分の思いを伝えたら、多分相手も受け取りやすいと思います。 そして、それが出来るのが大人の洗練されたコミュニケーションではないかとも思っています。 その為には自分が何にプライオリティを置いているのか知っておく事がとっても大切。 自分の“好き”を知っておくことが大切なのです。 自分の好きを知って、しっかり地に足を着けたうえでI messageで自分の思いを伝えていく・・・。 そんな事が時代の流れに乗りながらも情報に翻弄される事なく、自分らしく生きていける秘訣なのではないかと思って、そんなお話をさせて頂きました。
053.「セッション時の私の口調がきつくなった・・・からの不安時の対処法」
今回は最近セッション時の私の口調がきつくなったように感じる・・という話から、不安な時の対処法についてお話させて頂きました。 最近特に感じるのですが、セッションをしている時の私の口調がきつくなっているように思うのです。 厳しい言葉を使っているというより、逃げを許さないような物の言い方になっているような気がするのです。 時代の変化の流れも速いです。星の動きからも個人的にも大きな変化を促されているように感じる今です。だからこそ、“こんなところで迷っている場合じゃないよ!自分の進むべき道に方向定めないとタイミングを逃すよ!”そういう気持ちが先走るのかもしれません。 セッションをしている時、勿論私が話をしているのですが私の口を通して何か違うものが話しているように感じる時があります。私のガイドかもしれませんし、クライアント様のガイドが私を使ってメッセージを伝えにきているのかもしれません。 だとしたら、その方にとって本当に今、大きな変化のタイミングがきているのだと思うのです。私の親心だと思って、口調の厳しい私を受け入れてくれたら嬉しいです(笑) そして、そこから不安な時の対処法も少しお話させて頂きました。結論から言うと“不安な自分を認めましょう”という事です。不安を感じる事は恥ずかしいことでも何でもありません。新しい場所、知らないところに向かう時には誰でも不安を感じるものです。 それを自分の奥底に押し込んで無かったようにふるまうと、いつか爆発する時が来ます。自分の不安を相手や社会のせいにする事もあるでしょう。そうなると自分も周囲の方も不幸です。 そうならないためにも、“今、私は不安なんです。バタバタするかもしれないけど大目に見て下さい” そんな風に伝えられたら周囲の人も対処できます。口に出して表現できない方は紙に書くだけでも違います。 そうして自分の不安を俯瞰してみると本当に不安になるべきものなのか、そうではないのかがわかったりもします。 実際、恐れている事の80%くらいは起こらないといいますしね。 今回はそんな話をさせて頂きました。
052.「ブレスレットの崩壊」
9月の配信で、クライアント様のペンダントの石が割れた・・・というお話をさせて頂いたのですが、今回は私がつけていたブレスレットが崩壊した・・・というお話です。 クリスタルで作ったアクセサリーが壊れる時、私はその石たちのサポートが終了したのだな・・・と捉えます。 私がクリスタルを使ってヒーリング、リーディングの活動を始めた当初は、自分でアクセサリーを作成することはしていませんでした。 気に入ったものを購入していたのですが、その当初は購入したものが1週間くらいでそのゴムやワイヤーが切れる・・・という事が多々起こりました。当時の私には合わなかったり、Too muchなものだったのかもしれません。 ただ自分で作成するようになってからは、壊れるという事が殆どなくなり私が覚えている限りその最後は、10年近く前に、やはり大きな変化の時にブレスレットが崩壊しました。 今回はそれ以来の出来事でした。それも日食を伴う新月の前日! これは明らかにステージが変わる時なのだな・・・と嬉しくなりました。 そして、その後に創ったブレスレットのイメージが出てきた、そのなりゆきもとても印象深いものでした。 私は毎朝瞑想するのですが、新しいものを創ろうと考えていたその日の朝の瞑想中にブレスレットのイメージが降りてきたのです。フッと使う石のイメージとデザインが頭に浮かんできました。 そして、ほぼその通りにつくってみて出来上がった時、私が好きな色の石を使ったものではなかったのですが、“お~!まさにこれだ!!”と、とてもシックリきたのです。 私にとって、もう一つ先のステージに行く事をサポートしてくれるような、そんなブレスレットが出来上がりました。 今回は私に起きた出来事として、タイミング、そして新作のイメージの浮かび方がとても神がかっていたように感じたので、そんなお話をさせて頂きました。
051.「Shyは罪」
今日はハローウィンという事で、仮装なさる方もいるかもしれませんね。そんな今日は自己表現というテーマでお話させて頂きました。 私は1999年から数年間イギリスに住んでいました。英語も禄に話せずに渡英してしまったので、向こうで英会話学校に通っていたのですが、その学校の先生に言われた言葉が“Shyは罪だよ”というものでした。その頃の私の中には全く無かった概念なのでかなりビックリしたのを覚えています。 相手の思いを推しはかる・・・それは日本人特有の高度な技なのかもしれせん。 イギリスで”言いたい事はハッキリ言わないと伝わらないよ“そんな事を何回言われたかわかりません。 でもこれは日本人同士でもいえる事なのだと思うのです。自分が絶対に曲げたくない意見、信念を持って生きている部分ははっきり言わないと伝わらないかもしれないし、相手の想像に任せていたら自分の思いと違った捉え方をされている可能性だってあります。 だから、ここぞというポイントは敢えてハッキリ言わないといけないように思うのです。 何故こんな話になったかと言うと、セッションをしている中で自分のやりたい事があるのに表現しない方が多いように感じるからなのです。恥ずかしいとか、完璧になってから・・とかそんな言い訳もあるかもしれません。 でも実際に試してみないと上達するものもしないと思うのです。実際に行動してみないと見つからない改善点や、逆に思いもつかなかった楽しさや実際にやってみて発見できる魅力などもあると思います。つく自信だって行動しなければつかないものです。そもそも完璧とはなんぞや・・・と言うお話にもなってきますが・・・。 そして、その表現したいのにしていない事が、もしかしたら非常に世のために人のためになることかもしれないのです。そうなると逆に表現しない事の方が罪になってしまいます。 今になって“Shyは罪だよ”そんな言葉が腑に落ちてきました。 と、そんなお話をさせて頂きました。