サンディエゴ日本人教会 San Diego Japanese Christian Church
Religion & Spirituality:Christianity
重荷を負うということは簡単なことではありません。しかし、私達は荷を背負い続けることが求められ、その荷の重さに押しつぶされないことが期待されます。その荷を降ろしたり、誰かに委ねたりすることは、その荷の重さに屈してしまうことで、「この人は責任や義務が果たせなかった」と評価されることを私達は恐れています。
それよりも、それらの荷を負い続けてゴールインするということが美談として、語り継がれ、そのように生きた人生は称賛される傾向があります。
荷を降ろすことを私達はとまどいます。なぜなら「降ろした」後にどんなことが待ち受けているかを私達は知らないからです。そして「降ろす」ということは、たとえ荷を下ろしても、その荷はそこにそのままあるわけで、それでは何の解決にもならないと私達は思うからです。
さらには荷を降ろすことは時に、私達の「プライド」が許しません。そうすることにより、人からどう思われるかと私達は考えます。「この荷は耐えられない」と明らかにすることは、自分の敗北を認めることと思われ、それは私達のプライドが許さないのです。
ここまで、荷を「おろす」か「おろさない」か二つの選択肢をお話ししました。私達は何か問題にぶつかりますと、その視野がとても狭くなる傾向があります。そうです、この問題の解決に対して「あれか、これか」と二つの選択肢しか私達は考えられなくなることがあるのです。
しかし、皆さん、私達が抱える問題の多くは本来「あれか、これか」というようなものではなくて、その解決のためには「あれか、これか、それともこのことか」と第三、第四の道があるものです。
ゆえに、今日は私達が日々負っている荷について、私達が取り得る第三の選択肢について聖書が記していることをお話しします。
『心を自由に保つ』大倉 信 師
『アメリカに住む日本人として 』大倉 信 師
『生ける望み』【1 ペテロ1:3-7】大川 道雄 師
イースター礼拝 『その時には完全に知るであろう』大倉 信 師
『裏切られた同じ夜...』大倉 信 師
『神のはたらかれるスペースを確保する 』大倉 信 師
『神のあわれみによる勧め』大倉 信 師
『神に喜ばれ、自分も喜ぶ』大倉 信 師
『あなたの体について』大倉 信 師
『神の測りがたい知恵』大倉 信 師
『私達、そしてユダヤ人の救い』大倉 信 師
『神の熱心と私達の信仰によって』大倉 信 師
『私達が人生の主(あるじ)なのではない』大倉 信 師
『イスラエルが証明すること』大倉 信 師
『私達が目指すべきところ』大倉 信 師
『キリストにあって共に育つ』本多 一米 師 (Bilingual Message "Growing Together In Christ" Rev. Ichibei Honda)
『忘れよう、忘れまい』大倉 信 師
『人生という冒険のただ中にある方々へ』大倉 信 師
『イエス様と私達の間に壁はない』大倉 信 師 (Bilingual Message "There Is No Wall Between Us and Jesus")
『平和の君』大倉 信 師 (Bilingual Message "Prince of Peace")
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