サンディエゴ日本人教会 San Diego Japanese Christian Church
Religion & Spirituality:Christianity
アメリカにいて、もしかしたらいつか居合わせることがあるのではないかと恐れていることがあります。それはどこかで強盗と鉢合わせになるということです。もう、このようなことは大きなニュースにならないほどに、このサンディエゴでも時々、この事件は起きています。自分がよく行く銀行とか、自分が立ち寄っているコンビニエンスストアに強盗が入ったということは珍しい話ではありません。
思うのです。いつか銀行のデスクで必要なことを書きこんでいる時に、目の前の窓口で銃を突きつけてお金を奪おうとしている強盗に遭遇することがあるかもしれないと。言うまでもなく、その時の原則は強盗が望むものを全て渡すことです。もちろん、渡す理由はないし、渡したくないものです。しかし、渡します。なぜなら私には銃口が向けられているからです。銃口を向けられて恐れを感じない人はいないでしょう。恐れは私達が願っていない言動へと私達を駆り立てます。そして、その恐れは銃口を向けられるというようなことだけではありません。
人の目を恐れる人がいます。人にどう思われているかを恐れるのです。その恐れがその人の言動をコントロールします。本当はしたくないことなのに、本当の自分はそのような自分ではないのに、人の目を恐れて心にないことを言ったり、したりします。
イエス様は度々、出会う人に言いました、「恐れるな」。どんなに装ってみても、神の目に人は恐れを持つ者と見えました。恐れは確かに私達を動かす動機です。
『こうして教会は(19):賛美の力』大倉 信 師
『こうして教会は(18):まごころを評価する教会』大倉 信 師
『こうして教会は(17): 湧き上がる喜び』大倉 信 師
『こうして教会は(16):礼拝者の心にあるべきこと』大倉 信 師
『こうして教会は(15):神を畏れることが、なぜ必要なのか? 』大倉 信 師
『こうして教会は(14):教会の祈りの力』大倉 信 師
『こうして教会は(13): Soli Deo Gloria(神にのみ栄光あれ!)』大倉 信 師
『こうして教会は(12):健康な教会であるために』大倉 信 師
『神様の愛のチャレンジ』本多 一米 師 Bilingual Message "The Challenge of God’s Love" Pastor Ichibei Honda
『こうして教会は(11): ぶれない軸ゆえの自由 』大倉 信 師
『こうして教会は(10):食卓を囲む意義』大倉 信 師
『こうして教会は(9):ひたすら一同がしていたこと』大倉 信 師
『こうして教会は(8):主にある交わりから得るもの』大倉 信 師
『こうして教会は(7): 洗礼について』大倉 信 師
『こうして教会は(6): 悔い改めよ』大倉 信 師
『永遠の命に至る実 』古山 隆 師
『永遠の命に至る水 』古山 隆 師
『こうして教会は(5): 命の言葉を堅く持って』大倉 信 師
『こうして教会は(4):通じ合う言葉と心』大倉 信 師 (Bilingual Message)
『こうして教会は(3):聖霊と共に歩む価値』大倉 信 師
Create your
podcast in
minutes
It is Free
Life After Ministry
Cast The Word
Let Me Be Frank | Bishop Frank Caggiano’s Podcast | Diocese of Bridgeport, CT
The Bible Recap
The Bible in a Year (with Fr. Mike Schmitz)