サンディエゴ日本人教会 San Diego Japanese Christian Church
Religion & Spirituality:Christianity
アメリカにいて、もしかしたらいつか居合わせることがあるのではないかと恐れていることがあります。それはどこかで強盗と鉢合わせになるということです。もう、このようなことは大きなニュースにならないほどに、このサンディエゴでも時々、この事件は起きています。自分がよく行く銀行とか、自分が立ち寄っているコンビニエンスストアに強盗が入ったということは珍しい話ではありません。
思うのです。いつか銀行のデスクで必要なことを書きこんでいる時に、目の前の窓口で銃を突きつけてお金を奪おうとしている強盗に遭遇することがあるかもしれないと。言うまでもなく、その時の原則は強盗が望むものを全て渡すことです。もちろん、渡す理由はないし、渡したくないものです。しかし、渡します。なぜなら私には銃口が向けられているからです。銃口を向けられて恐れを感じない人はいないでしょう。恐れは私達が願っていない言動へと私達を駆り立てます。そして、その恐れは銃口を向けられるというようなことだけではありません。
人の目を恐れる人がいます。人にどう思われているかを恐れるのです。その恐れがその人の言動をコントロールします。本当はしたくないことなのに、本当の自分はそのような自分ではないのに、人の目を恐れて心にないことを言ったり、したりします。
イエス様は度々、出会う人に言いました、「恐れるな」。どんなに装ってみても、神の目に人は恐れを持つ者と見えました。恐れは確かに私達を動かす動機です。
『聞かれない 祈りについて』大倉 信 牧師
『天を相手に生きる喜び!』大倉 信 牧師
『私たちは実の終わりを知っている - We Know the True Ending』本多 一米 牧師 Pastor Ichibei Honda
『悔いのない人生を生きたい』大倉 信 牧師
『壁越しではなく、垣根越しに』大倉 信 牧師
『与えましょう、与えられます』大倉 信 牧師
『私が変わります』大倉 信 牧師
『誰のために体を労るのか』大倉 信 牧師
『私は奇しき足跡を信じる』大倉 信 牧師
『「変化」は祝福を運んでくる』大倉 信 牧師
『点はつながり、やがて線となる』大倉 信 牧師
『その時、遺す言葉がありますか』大倉 信 牧師
『痛恨の失敗、されど・・・』大倉 信 牧師
『人の分際を知る』大倉 信 牧師
『リアリストであり、信仰者』大倉 信 牧師
『今こそ、座って考える時』大倉 信 牧師
『主よ、私と共に年を越してください』大倉 信 牧師
『Why Christmas? なぜクリスマス?』本多一米 師
『「乳飲子」として生まれる意味』大倉 信 牧師
『クリスマスはチキンとローソクか?』大倉 信 牧師
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